産経新聞2008.2.19【「明日への遺言」の証言者たち】(3)孫・土井博子

■岡田資中将の孫、土井博子さん、祖父と父の遺志、受け継ぐ

「博子ちゃんの成長ぶりを欲を言えば、今一度見たかった」
岡田資中将が家族に向けて書いた遺書の中に、生への執着や未練めいた言葉はほとんど見あたらない。が、生まれてまだ1年に満たない初孫に対してだけは、いとおしいという思いがにじみ出る。

その土井博子さん(59)は成長して結婚し、1男2女の母親となった。岡田中将が死刑判決を受けた昭和23年の生まれ。中将は翌24年、59歳で処刑台の露と消えた。「私もとうとう祖父の年齢になったんだと、映画を見てしみじみと歴史の重みを実感しています」と博子さんは感慨深げに話す。幼いころから母、達子さん(岡田中将の長女)に祖父の話をよく聞かされたという。「祖父は母を“たっちん”と呼び、本当にかわいがっていたと聞きます」。その母は平成元年、69歳で亡くなった。

博子さんの父、藤本正雄さんは元陸軍少佐で、義理の父である岡田中将の法廷の傍聴に通い、裁判記録を取り続けた。岡田中将の遺稿などをまとめた『巣鴨の十三階段』(昭和27年刊行)の編者でもあり、大岡昇平が『ながい旅』を書くための取材にも協力した。十数年前、小泉堯史監督から『ながい旅』の映画化についての相談を受けると、資料を提供するなど助力、映画の完成を楽しみにしていた。だが博子さんは当時、父が小泉監督と会っていたことをまったく知らなかった。平成9年、正雄さんは84歳で他界する。「父の遺品を整理していたら、小泉監督から送られた手紙が出てきたんです」

 ≪横浜法廷へ行ってきました。法廷の写真も同封します…≫

博子さんはすぐに小泉監督に、父が死去したことを報告する。小泉監督の映画化への情熱が並々ならぬことを知り、父の遺志を受け継ぐ思いで協力を申し出た。「実はかつて母が祖父について語るとき、まだ若かった私は、また同じ話か、という思いで聞いていました。今、思いだすと残念で…。もっと祖父の話を聞いておけばよかった」映画の中で、生まれたばかりの博子さんが母に抱かれて登場するシーンがある。岡田中将に初孫の顔を見せるため、両親が法廷へ博子さんを連れて来るこのくだりは、緊張感に包まれた法廷場面が連続する中で唯一、心和む瞬間かもしれない。

「今になって改めて祖父や父母が恋しい。映画のメッセージが私の子供たち若い世代にも伝われば…」。博子さんは、期待を込めた。