ドラマ「最後の戦犯」へのメディアの評

毎日新聞 2008年12月7日 東京朝刊 視聴室:最後の戦犯

私は貝になりたい」のリメーク映画が公開されるなど、BC級戦犯が注目されている。まじめに生きれど、報いられることのない不条理に満ちた世相と、通じるものがあるのだろうか。米軍捕虜の処刑に加わった見習士官、吉村修(ARATA)は、敗戦で逃亡生活に入る。処刑も逃亡も、上官の命令に従ったこと。収監された巣鴨拘置所で、戦友はその不条理さを訴える。だが、吉村は自らの罪に、別の答えを出す。(岩)

TV LIFE 2008年12月7日 紹介

 日本国内で“最後の戦犯”として裁かれた故・左田野修氏の手記を基にドラマ化。脚本は鄭義信。演出は柳川強。太平洋戦争終結の5日前、上官の命令で、修(ARATA)は捕虜の米兵の斬首を行った。終戦後、戦争犯罪人として指名手配された修たちに、元上官の加藤(石橋凌)は逃亡を命じる。修は得心できないまま偽名を使って働き始めるが、信頼を得るにつれて別の自分を演じることに苦しみだす。

毎日新聞 特別インタビュー 2008年12月5日

小林弘忠さん&左田野渉さん:BC級戦犯は軍隊組織が生んだ一つの悲劇「逃亡 『油山事件』戦犯告白録」
 太平洋戦争末期、上官の命令でアメリカ兵捕虜を殺害した陸軍見習士官「左田野修」。彼の戦後の逃亡手記をもとに描かれたノンフィクション「逃亡 『油山事件』戦犯告白録」(毎日新聞社)を原案にしたドラマ「最後の戦犯」が、12月7日にNHK総合で放送される。間もなく真珠湾攻撃(1941年12月8日)の日を迎える。著者の小林弘忠さんと左田野修の長男・左田野渉さんに話を聞いた。

−− 執筆のきっかけは。
小林さん:1999年に「巣鴨プリズン」(中央公論新社)で花山信勝という教戒師を描き、彼の実家におうかがいして以来、BC級戦犯に関心を抱くようになりました。その後、BC級で絞首刑になった方の夫人で「夫はそんな悪いことをしていない」という方に熊本で会い、お話をうかがうなどしていたところ、日本経済新聞に左田野の息子(渉さん)のお話として「手記をどこかに寄贈できないか」と掲載されているのを目にしました。ぜひ拝見したいとお願いしたところ、ご快諾いただきました。

−− 小林さんに手記を託したのは。
左田野さん:理由は二つあります。(小林さんにお話をいただく前に)油山事件を実名で扱った本が出て、今さら隠しても仕方がないと思いました。それまでは作家の吉村昭先生に対しても「実名を出してもらっては困る」と提供をお断りしていました。もう一つは、父が残した手記は第一部第一章何々とか、外に見られることを意識した書き方になっていました。他人様にご迷惑がかかるのは避けなければならないが、時がきたら誰かに見せたいという意図を感じました。それを小林さんのように信頼できる方が世に紹介してくださるなら、父の意図が実現するのではないかと思いました。

−− 手記には、岐阜県多治見市に潜伏中の様子が、克明に描かれています。
小林さん:かなりの分量で綿密で、彼の誠実な人格そのものだと思います。「自分は生きなくてはならない」という信念があったのだと思います。殺害したという事実はありますが、自分の意思でやったわけではない。必死になって、自分の信念を貫いたのだと思います。BC級戦犯は刑を言い渡されると、必ず重い刑でした。数回で結審して刑が決まりました。だから、ものすごく恐怖なわけですよ。どうしても逃げたい。けれど、そうすると家族がものすごく追及される。(本作で油山事件や裁判の様子より、多治見での左田野の様子を多く描いたのは)そういう逃亡の生活から、BC級裁判の怖さを描きたかったんです。

−− 父親としての左田野はどんな人でしたか。
左田野さん:巣鴨に入っていたので結婚が遅く、かなり歳の離れた父でした。大正生まれということもあり寡黙で、まじめな人です。(巣鴨後は)ずっと労務畑で、書棚にも労務関係の本ばかりが並んでいました。(油山事件のことを明かされたときは)離れの部屋に呼ばれ「おまえも二十歳になったので、私の過去を知るのもいいだろう」「10代のころだと何も感じないだろうから二十歳になるのを待っていた」と言われました。ダンボールにいっぱい入った資料を読んでみると、平々凡々とした父にこんな過去があったのかと、頭を殴られたような衝撃でした。

−− BC級戦犯について。
小林さん:A級戦犯で絞首刑になったのは7人です。一方のBC級は約1000人。命を数で決めるのもおかしな話ですが、あまりに差があります。しかもBC級の多くは上官の命令です。上官の命令は天皇の命令ですから絶対で、これには逆らえません。BC級戦犯は、軍隊組織が生んだ一つの悲劇といえます。多くの上官が戦後、部下を売ったようです。もちろん「私の責任だ」という上官もいないではありませんでしたが。取材でご遺族を訪ねると、戦後ずいぶん後になって恩給が出るようになりましたが、特に戦後のもののない時代はたいへんだったようです。身を削る思いで、しかも戦犯ということで近所などからは石以て打たれるような感じで。それでも「やっていない」と遺族は信じている。その執念たるや、すさまじいものがあります。

−− 左田野は巣鴨での取調べで、上官をかばって嘘をつきます。
左田野さん:ぼくには理解できません。巣鴨を出た後も、命令を下した方々をずっとかばっていました。自分をおとしいれた人を何十年もどうしてかばうのか。私から見ると不思議です。逆に恨んでもいいのではないかと思います。
 小林さん:左田野はとても苦しんだと思います。はじめに本当のことを言った後、嘘を言って上官をかばい、供述調書を修正します。けれど本当のことを言わなければならないと考え、また苦悩しています。そのあたりの苦しみに、左田野の誠実さがあらわれていると思います。几帳面で律儀で誠実で。左田野は「黙して語らず」の陸軍中野学校の出身ですが、やはりこれは性格なのだと思います。(渉さんは)いいお父さんをお持ちでしたね。

−− 読者に一言。
小林さん:最近、戦争についての本がたくさん出ていますが、エポック的なところがまだあると思います。東京大空襲とか広島、長崎とか。エポック的なことも大切ですが、戦争というものを常に考えなければならないと思います。またBC級戦犯については、A級に比べ忘れられがちですが、もっと深く知ってもらいたいと思います。
 左田野さん:私は戦争を知らない世代ですが、父親が過去に大きな傷を負っていたことは分かります。戦争を知る世代のほとんどが、もうすぐこの世を去ろうとしています。ですので、戦争にまつわる資料や記録をしっかり後世に伝え、残してほしいと思います。そういう意味で「逃亡」を描いていただいた小林さんには感謝しています。

油山事件とは:1945年8月、福岡県の油山で起こった捕虜殺害事件。B29搭乗員8人が斬首された。戦後、西部軍管区司令部の司令官・横山勇中将を含む10人が絞首刑判決を受けた後に減刑