戦争犯罪を描いたドラマへの感想

(1)

日本では戦後60年経っても戦争犯罪についての理解が浅く、上記のような間違った見方が流布しているのが悲しいです。主人公が裁かれた捕虜への虐待などの戦争犯罪は、日本が戦争を開始した当時すでに国際法で禁止されていた。そして日本もそれに同意していた。しかし日本軍は、将校も含め兵士にそれを教えなかった。ここに日本のBC級戦争犯罪の大きな原因があります。

それを知ればBC級戦犯への裁判自体はけっして不条理でもなんでもない、すでに普及している国際法を犯した普通の犯罪だということですね。

そして付け加えるなら、原爆云々というなら、国際秩序は常に国際社会をリードしている者が形作るという事を理解すべきです。もしリードしていない者の主張を等価に扱うなら、
・・それは例えば北朝鮮からの、戦争賠償を、拉致問題とは別個に、真面目に日本人が考えるという事でしょう。

少なくとも日本は戦後アメリカなど西側戦勝国の国際秩序の立場にたってきた。そのくせ原爆についてだけ文句を言うような、ヘンテコな考え方をすべきではない。

もし原爆について文句を言うなら、東京裁判云々ではなく、根拠はそれが「人道に対する罪」という戦争犯罪であるからであり、それは同時に重慶への日本軍の度重なる無差別爆撃や、ドイツ諸都市へのイギリスの無差別爆撃を問うべきです。

でないなら、それは結局自国中心主義、自国の利益だけを主張し、国際秩序を認めない考え方ですね。今これをやっているのがアメリカであり、イラク戦争などで世界中から批判されている事を思い出すべきです。

(2)

このドラマへの反応はおおむね好評で、特にNHKのHP掲示板に投稿されているように「戦争犯罪って何なのか自分で考えたい」という反応が多いと思います。

その中で貴殿は明らかに知識不足から大きな間違いをしているようなので僭越ながらコメントさせていただきます。

>戦争をすることは「犯罪」とはされていないのが当時の国際法である。
>それでいけば「戦犯」なるものは、あるわけがない。
 あなたは混乱していますね。まずドラマの主人公が裁かれたのはB級戦犯としてであり(一般にBC級と呼ばれるが実際にはB級しかない)、B級戦犯=一般的な戦争犯罪が問われています。即ち戦争での過剰に残虐な行為の禁止です。これは日本が戦争を開始した時点で既に国際法で規定され日本も遵守に同意しています。従って、主人公が戦犯に問われるのは当然です。
 問題はそのくせ日本軍は実際には兵には国際法の存在を教えず、一方軍自体は残虐行為をけして否定しない方針をとり、兵士には絶対服従を要求したことです。これでは日本の末端の兵士が戦争犯罪を犯すのは当たり前でしょう。従って主人公が苦しむ原因の大きな部分は実は日本軍にあるのです。


>ならば、彼らに「責任」を問うのは、「理不尽」以外の何者でもない。
>日本人は彼らを責めてはいけないのだ。
 当時の日本ではBC戦犯への風当たりは強かったようですが、今はないでしょう。そして貴殿の論調は、「世界の人は彼らを責めてはいけない」と受け取れます。上記の経緯を知れば、それは間違いでしょう。
 たしかに戦犯裁判は戦勝国が敗戦国を裁く過酷なものですが、それも国際秩序の一つです。すなわち戦勝国でさえ裁けなかったら誰が裁くというのでしょうか?現在では旧ユーゴ紛争などの戦争犯罪人国際司法裁判所で裁かれており、それは「国連の下」で裁かれています。そして日本はその国連を支えている主要な国の一つです。即ち、第2次世界大戦後日本も含めて国際社会は、こうした戦争犯罪を「国際社会の秩序」として禁止し裁くようになったとという事をお考えください。
 更に、今や「国際社会の下」で戦争犯罪を裁くことが曲がりなりにも可能になったことで、戦勝国の犯罪をも理論的には裁けるようになった事をどう考えますか?すなわちアメリカはイラク戦争でのアメリカ軍の戦争犯罪を問うことを拒否しているという事実があるという事です。これは国際社会は戦勝国アメリカの戦争犯罪を問うているが、アメリカは抵抗しているという事でしょう。


>戦争をすることは「犯罪」とはされていないのが当時の国際法である。
>それでいけば「戦犯」なるものは、あるわけがない。
これはA級(平和への罪=侵略戦争を行った罪)の事ですね。これらはあなたのご存知のように1945年以降に裁判で採用されたものです。日本人でこれらに問われたのは、東京裁判被告の日本の指導者たちです、従ってこのドラマとは直接関係ありません。

>ただ「敗戦国日本」として「戦争に負けた国民への責任」はある。
>その意味では、A級戦犯とされた人々は、重い責任がある。
>国民を悲惨な目に合わせた責任が・・・である。
 貴殿はここからBC級む含め日本の戦争犯罪を全て否定しているように受け取りました。しかし貴殿の論旨で言えば、日本人の手で「国民を悲惨な目に合わせた責任」を裁けば良いのではありませんか。そして実際にドイツではそのような裁判が行われています。又日本でも読売新聞が紙上でしたように、事後の議論としてそれは可能です。読売新聞のその検討結果はほとんど東京裁判の結果と同じでしたよ。
 こうした経緯を知ればA級も含めBC級も、全ての日本の戦争犯罪者には、「それなりの罪」があったから責任を問われたと受け取るのが当たり前であることがおわかりでしょう。


>「戦争に負けた」
>これがすべてだ。
 上記から結論として、戦争犯罪を問う必然性は今やそれが国際社会の秩序だからなのはお分かりでしょう。そして今や戦勝国も問われる可能性があります。これがわかれば「戦争に負けたのが全ての原因」というのは完全な間違いであり、ひどく幼稚な考え方です。そしてあなたが幼稚なのは下記のように実は非常に古い父親の体験から一歩も前進していないからですね。

>そんな父親が「負ける戦争をしたのが悪かった」と言うのだ。
>多くを語らなかった父だが、このことだけはボソリと言った。
 あなたがひどく幼稚なのは、上記の父親の発言をそのまま受け入れているからですね。この父親の発言は実際にはどうしようもなく古くさいもので、日本軍の残虐行為をどう考えればいいかわからない、大昔の知識の不足から出てきた狭量な観念です。
 即ちこうした発言はけして日本が負けた1945年以降に出てきたものではなく、日中戦争での日本兵の当時の体験談に既に出てきます。それは「日本軍によって」大量に民間人が殺され、略奪される様子、それらの不法行為でひどく混乱した中国社会の様子を見て、戦勝国であった日本の兵隊が漏らした感想なのです。
 当時の日本兵はこうした残虐行為・不法行為が国際社会で禁止されているのを知らず、自分の残虐行為が、本来してはいけないものだと知らなかった。そのため戦争で負ければどこの国でもこういう酷い目に会うのは仕方がないと思っていた。だから出てきた発言です。


 今では昔の日本軍のこうした残虐行為が戦争犯罪にあたり、国際社会はけしてそれを許さないのはお分かりでしょう。従って「戦争に負けたから何でも酷い目にあう、負けたらいけないのだ」は完全な間違いです。実際には戦争でもある程度の秩序があり、残虐な殺人はいけない戦闘に関係ない民間人への虐待はいけない。また戦後もたとえ戦勝国が何でも好きなようにできる訳ではありません、ある程度の枠があるのです。戦争犯罪、それは20世紀までの人間が戦争を反省し、形ってきた一つの秩序なのですよ。

(3)

>具体的にどういう残虐行為があったのか書いておられません
回答:私がすぐに言えるもので書けば従軍慰安婦です。日本軍の戦争犯罪で1これほど広範に行われ、2世界中から非難されているにもかかわらず、3未だに日本人が認識しておらず公式の謝罪も賠償もしていない問題はないでしょう。慰安婦とよばれた方へどんな残酷な行為を行ったかについては例えばネット上に自由にたずねる事のできる場所では http://ianhu.g.hatena.ne.jp/ といったものがあり、詳細はそこで知ることが可能でしょう。

時代考証を現代と混同していませんか?
我々は常に現在の問題を論じている。63年前に終わった日本の戦争犯罪は今でも裁かれつつある事をあなたは知らないようだ。例えばドイツではこうした犯罪には時効はない。自分の無知を恥じるべだろう。

国際司法裁判所なるものが、どれほど機能しているのかは、なはだ疑問です。
旧ユーゴ紛争の当事者たちは国際司法裁判所で裁かれています。又日本はそれを支える国の一つです。日本が世界の平和と秩序を重んじる国であればこうした機関の判決に従うのは当然のことでしょう。
具体的に書けば、もし自衛隊国際紛争に関与して残虐行為をすれば、ここで裁かれる可能性があるということです。

>その思想的背景の問題
国際司法裁判所に連なる戦争裁判の思想的背景は「法の支配」でしょう。即ち、国際社会全体で一つの法を共有し、その法の秩序に従うことで、紛争を未然に解決し平和をつくるということです。

 これは「国際社会を」「一国の社会」に読み替えればで常識的で有効な考え方であるのは理解できるでしょう。それぞれの国家に主権を認める国際社会でも、経済・文化など国家間の関係性は無視できず、これは国際社会全体が一つの共同体として動いているという見方です。そして今では国連を中心として公的に国家を縛る規則が既に存在している。日本が世界の平和と秩序を重んじる国であれば、それを推進すれこそ反対することは考えられません。

>歴史が繰り返されるのは何故か?
なんの歴史か不明ですが、戦争の歴史で言えば繰り返されていません。20世紀以降の全ての戦争を統計的に分析した結果は、今ではもはや大国間の戦争は難しいだろう事を示しています。即ち第2次大戦以降たくせんの戦争が起きたかが、実際に大国が衝突することはなかった。それを考えるべきです。

あなたの間違いは根本は知識の不足に発していますね。戦争と平和、その中の一主題としての戦争犯罪について、50年代の敗戦直後とは異なり、今ではかなり多くの情報が得られる。そうした情報をまったく吸収せず、未だに1930年代の体験だけで戦争を判断しようとしている、そこに貴殿の大きな間違いがあると思われます。


(4)

>国際社会が「善」と言う前提で物事を考えているようですが、そこがそもそも間違っていませんか?
安全保障を検討する国際関係論では、主権を有する各国はそれぞれの利益計算の上で動くと考えている。基本的にそこには善悪という基準はない(従って事実上の侵略行為である覇権行為の発生などが検討できる)。その上で夫々の国家の「平和という利益」を実現するために、戦争犯罪を規定するような国際秩序(法の支配)が生まれたとしている。普通に計算すればほとんどの国にとって自国の繁栄にとって平和が大きな利益(大前提)であるのは容易に理解できでしょう。

つまり戦争犯罪を裁くというのは「法の支配」であって善意などという恣意的なものではない。かつて日本の戦争犯罪を裁いたアメリカが国際司法裁判所に否定的なのはこのためでしょう。一国行動主義のアメリカにとってそれがアメリカの自由にならず法の規則で縛られるから忌避するのでしょう。

ブログ主の「秩序=善意」などというのは正に無知ゆえの思い込み、あるいは法というものが理解できていないせいであろう。国内法で言えば、なぜ殺人を犯したら裁かれるか、刑法の精神ではそれは道徳的な規範や復讐のためではない、社会の秩序維持のためである、その為被害者は無視されてきた。自分の無知をよくかみ締めることだ。


>第二次大戦以降大きな戦争が無かったのは、「冷戦」という軍事バランスがあったからで、世の中が進化して平和になったわけではありません。
 ブログ主が第二次大戦以降の世界でおきた戦争をちゃんと理解しておらず、ただ冷戦というキーワードだけしかなく、何も考えていないのがわかって面白い。ブログ主はキューバ危機などご存じないのだろう。
 冷戦とは何だったのか?冷戦はアメリカ−ソ連間の戦争だったが、この2国間の直接対決はキューバ危機で回避された。すなわち冷戦の歴史を見れば、大国間の戦争はできない又はおこらない、という経験が蓄積されたと言えるという事だ。私は今や大国間の戦争はむずかしいだろう、と書いた。冷戦の経験はそれを裏付けているし、ソ連の崩壊で更に難しくなった。

あなたが「歴史が繰り返されるのは何故か?」と「大国間でも戦争はなくならない」という主旨で書いたのある意味当たり前だ。あなたはキューバ危機も、冷戦の意味も知らない、すなわち歴史から何も学んでいないからですね。


>印パ間を見ても、「もう戦争は無い」とあなたは言えますか?
印パは大国ではありません。この場合大国とは国際法を作るなど国際社会を形作る上で主導的な役割を果たせる国を指しているのが常識でしょう。要はG8+中国です。ここで注意すべきなのは、戦争犯罪の規定などの国際秩序は戦争を抑えるためのものであって、現に戦争があることとは直接矛盾しないことです。殺人罪があっても殺人はなくならにように。

又ブログ主の間違いは、世界中で起きている戦争と日本の戦争をごっちゃにしているだろう事です。世界のどこかで戦争が起きていても関係がなければ日本は平和であるのはこの63年が証明している。また今、日本がインド・パキスタンと戦争する可能性はないでしょう。現在も世界で戦争はおきている、しかし日本が関わる戦争はほぼ起きないと言えましょう。
確かに現在の情勢では世界中で戦争がなくなる日はかなり遠いでしょう。しかし世界で戦争はなくならない→だから日本も危うい。これはある意味では平和運動に騙されているとも言えます。そういう非現実的な思考は、真面目に自国の安全保障を考えられない平和ボケというべきです。しかし残念なのはこうした無思考は日本では珍しくないことですね。


>歴史を語る場合、時代状況を踏まえて考えなければ、その時の対応がどうだったかは判断できない
従軍慰安婦に関して言えば、1941年の段階で日本軍はその時の日本の法に照らして犯罪を犯していたのは、吉見義明氏の論文で2007年はっきりしている。すなわち当時でも本人の同意なしに商売を偽って女性を海外へ連れ去ることは、違法(拉致・誘拐)であり、日本軍はこれに反している。秦郁彦などいわゆる歴史修正主義者はこれにまったく反論できなかった。引用サイト等で勉強すべきだ。