毎日新聞での映画「靖国」に関する一連の報道

クローズアップ2008:映画「靖国」上映中止 揺れる表現の自由

毎日新聞 2008年4月2日 東京朝刊
 靖国神社を舞台にしたドキュメンタリー映画靖国 YASUKUNI」の上映中止が、波紋を広げている。グランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が今年2月、日本教職員組合の教育研究集会の会場使用を拒んだのと同じ構図が、映画界にも波及したとみられるためだ。中止を決めた映画館周辺では、右翼団体による抗議活動が確認されている。【勝田友巳、棚部秀行、野口武則】 

◇「自己規制、生まないか」
 「やむにやまれぬ判断。劇場内には三つのスクリーンがあり、安全な上映環境を確保できるか、不安がぬぐえない。表現の自由を守れと言われても、限界がある」。上映中止を決めた映画館「銀座シネパトス」(東京・銀座)を運営するヒューマックスシネマの中村秋雄・興行部長は戸惑いを隠さない。昨年10月に上映を決めた際にはこんな事態は予想もしなかったという。中止決定から一夜明けた1日は代わりの作品の選定などに追われた。

 一方、3月31日に国会議員の試写などへの抗議声明を出した直後、上映予定全館での中止を知った日本映画監督協会も事態に驚く。崔洋一理事長は「映画の表現の自由は映画館での上映があって守られる。作り手が自己規制する空気が生まれないか心配だ」と話す。

 問題の発端とみられるのは、自民党稲田朋美衆院議員が2月12日、文化庁に「映画の内容を確認したい」と問い合わせたこと。稲田氏は、文化庁管轄の独立行政法人日本芸術文化振興会」が製作に750万円を助成したのを問題視していた。文化庁は配給協力・宣伝会社のアルゴ・ピクチャーズと協議し、3月12日夜に国会議員向けの試写を行い、自民、民主、公明、社民4党の40人が参加した。

 この時点で映画は都内4館、大阪市内1館で、今月12日から公開されることが決まっていた。しかし「バルト9」(東京・新宿)が3月18日「営業上の総合的判断」を理由に公開中止を発表。他の上映予定館周辺では街宣活動が行われたり抗議電話がかかってきた。右翼団体が稲田氏らの動きに刺激された可能性がある。バルト9の中止決定から約1週間後、他館も「観客や近隣に迷惑がかかる」などの理由で、相次いで公開を取りやめた。

 過去には92年に「ミンボーの女」の伊丹十三監督が暴力団員に襲われ、翌年、伊丹監督の「大病人」が上映中、右翼団体員にスクリーンを切り裂かれた。98年には「南京1937」のホールなどでの上映会が右翼の街宣活動で相次いで取りやめになった。00年には「バトル・ロワイアル」の暴力描写を、石井紘基衆院議員が問題視して国会で取り上げた。しかし映画館での公開が中止に追い込まれたのは極めて異例だ。

◇自民議員「反靖国だ」−−勉強会、怒声も
 「稲田氏の行動が自粛につながったとは考えないが、嫌がらせとか圧力で表現の自由が左右されるのは不適切だ」。町村信孝官房長官は1日の記者会見で、上映中止問題について一般論で応じた。

 国会議員向け試写会の翌日の3月13日、自民党の保守派でつくる「伝統と創造の会」(会長・稲田氏)と「平和靖国議連」(会長・今津寛衆院議員)が、文化庁などを呼んで合同勉強会を開いた。

 両団体とも首相の靖国参拝を支持する議員の集まり。試写後、映画を「靖国神社侵略戦争に国民を駆り立てる装置だったというイデオロギー的メッセージを感じた」と論評した稲田氏は勉強会で日本芸術文化振興会助成金問題を集中的に取り上げた。

 約10人の出席者からは「反靖国の内容だ。大きな問題になるから覚悟した方がいいよ」との怒声も飛んだ。稲田氏は3月31日「問題にしたのは助成金の妥当性。私たちの行動が表現の自由に対する制限でないことを明らかにするためにも中止していただきたくない」とのコメントを出した。

 一方、警視庁によると、上映予定の映画館に対する右翼団体の街宣活動は複数回確認されていた。しかし「際立った抗議活動は把握していない」(警視庁幹部)という。警察白書によると、07年の右翼の検挙数は1752件2018人。5年前は1691件2217人で件数は増加したものの人数は減少し全体ではほぼ横ばいの状態だ。

 右翼の事情に詳しい関係者は「大部分の右翼にとって靖国神社は特別な存在。過敏に反応してしまう傾向はある」と指摘した。


◇李監督「作品を見て健康的な議論を」
 李纓(リイン)監督(44)は1日、毎日新聞の取材に今回の動きについて、「市民から『考える自由』を奪う危険な事態。まずは作品を見て健康的な議論に生かしてほしい」と話した。

 中国広東省出身の李監督は、大学で文学を学んだ後、国営中国中央テレビに入局。チベット伝統芸能祭の復活を追ったドキュメンタリーなどを製作したが、中国での報道に限界を感じて退局し、89年に来日した。

 97年には、南京大虐殺を否定する趣旨の集会に参加した。「日本兵の名誉回復を熱心に訴える人々の姿に衝撃を受け、理由が知りたくて靖国神社でカメラを回し始めた」。10年間撮りためた映像を123分にまとめて、「靖国」を作った。「靖国神社の空気をできるだけ静かに、先入観なく感じ取ってもらえるように、あえてナレーションは付けなかった」と説明する。【福田隆】

◇映画館に責任ない−−映画監督の羽仁進さんの話
 「靖国」は非常に慎重に作られており、靖国神社に対する批判を強硬に打ち出している映画ではない。文化庁助成金を出したのは、映画の出来を評価して、一般の人に見てもらうため。もちろん政治家にも見てもらいたいが、彼らが文化庁に文句を言うのは筋が違う。また、映画に反対する人たちが映画館や近隣の人に迷惑になるような形で意見表明することは、社会のルールを壊している。上映中止の責任を映画館側に押しつけてはいけない。


社説:「靖国」中止 断じて看過してはならない

毎日新聞 2008年4月2日 東京朝刊
 中国人監督によるドキュメンタリー映画靖国 YASUKUNI」の上映が全面的に中止になった。予定していた計5館が嫌がらせや妨害が起きることを懸念し、取りやめたためだ。

 黙過できない。言論、表現の自由が揺らぐ。そういう事態と受け止めなければならない

 今年初め、日本教職員組合の教研集会の全体会場、宿所だった東京のグランドプリンスホテル新高輪が、一転して使用を断った。右翼の街宣や威圧行動で顧客や周辺の住民、受験生らに迷惑がかかるというのが理由だった。裁判所は使用をさせるよう命じたが、ホテル側はこの司法決定にも従わないという空前の異常事態になった。

 私たちはこれについて「今後前例として重くのしかかるおそれがある」と指摘した。「靖国」中止で「おそれ」は現実になったといわざるをえない。

 作品は、10年間にわたり終戦記念日靖国神社の光景などを記録したもので、一部のメディアなどが「反日的だ」とし、文化庁所管である芸術文化振興の助成金を受けていることを批判した。自民党の国会議員からも助成を疑問視する声が上がり、3月には全国会議員を対象にした試写会が開かれた経緯がある。

 萎縮(いしゅく)の連鎖を断ち切るには、再度上映を決めるか、別会場ででも公開の場を確保する必要がある。安全を名目にした「回避」は日教組を拒絶したホテルの場合と同様に、わが意に沿わぬ言論や表現を封殺しようとしている勢力、団体をつけ上がらせるだけであり、各地にドミノ式に同じ事例が続発することになろう。

 一方、警察当局にも言いたい。会場側が不安を抱く背景に、こうした問題で果たして警察が守りきってくれるのかという不信感があるのも事実だ。発表や集会を威圧と嫌がらせで妨害しようとする者たちに対して、きちんとした取り締まりをしてきたか。その疑念をぬぐうことも不可欠だ。

 また、全国会議員が対象という異例な試写会は、どういう思慮で行われたのだろう。映画の内容をどう評価し、どう批判するのも自由だ。しかし、国会議員が公にそろって見るなど、それ自体が無形の圧力になることは容易に想像がつくはずだ。それが狙いだったのかと勘繰りたくもなるが、権力を持つ公的機関の人々はその言動が、意図するとしないとにかかわらず、圧力となることを肝に銘じ、慎重さを忘れてはならない。

 逆に、今回のように「後難」を恐れて発表の場を封じてしまうような場合、言論の府の議員たちこそが信条や立場を超えて横やりを排撃し、むしろ上映促進を図って当然ではないか。

 事態を放置し、沈黙したまま過ごしてはならない。将来「あの時以来」と悔悟の言葉で想起される春になってはならない。


映画「靖国」:文科相国政調査権で依頼」を疑問視

毎日新聞 2008年4月4日
 ドキュメンタリー映画靖国」の上映を中止する映画館が相次いだ問題で、渡海紀三朗文部科学相は4日の閣議後会見で「一部の議員が国政調査権として(内容の確認を)依頼したようだ。国政調査権は本来(両議院の)委員会を通じて行使されるのがルールだ」と述べた。この問題では、自民党稲田朋美衆院議員が映画の封切り2カ月前の2月12日、文化庁に内容の確認を申し入れたことが明らかになっている。

 渡海文科相は「(稲田議員は)『あの映画に政治的メッセージがあるにもかかわらず、(文化庁所管の独立行政法人から)助成金が出ているのでは』という疑義があるから見せてほしいとのことだった。特定の依頼に対し、国の機関が何かをやるのは基本的によくないと思う」と述べた。

 文化庁は申し入れを受けて配給会社に相談し、全国会議員を対象とした異例の試写会(3月12日)を開催することが決まった。

 国政調査権憲法に基づく国会の権利で、衆参両院のいずれかの議決で発動する。行政機関に記録の提出を要求したり、証人喚問をすることなどができる。【加藤隆寛】


社説ウオッチング:映画「靖国」上映中止 毎日など5紙、表現の自由に懸念

毎日新聞 2008年4月6日 東京朝刊

 映画は、監督をはじめ製作にかかわる人たちが映像を通じて自分たちのメッセージを発する表現手段である。しかし、その表現行為も、上映する映画館がなければ多くの人々に伝えるすべは閉ざされてしまう。

◇試写会要求の国会議員らを擁護−−産経
 靖国神社を舞台にしたドキュメンタリー映画靖国 YASUKUNI」の上映を中止する映画館が相次いだ問題は、メッセージの内容いかんによっては表現の場が失われたり、制約を受けたりすることもある現実を浮き彫りにした。それは民主主義社会にあって、極めて危機的な状況といえる。

 今月の公開を予定していた東京、大阪の映画館5館がすべて上映を中止することが明らかになって以降、新聞各紙は一斉に、事態を憂慮する社説を掲載した。毎日、朝日、読売、日経、東京の5紙がそろって強調したのは、憲法で保障された言論・表現の自由が損なわれることへの懸念である。

◇萎縮の連鎖断て
 「靖国」は、日本在住の中国人監督が終戦記念日靖国神社で、軍服姿で参拝する団体やA級戦犯合祀(ごうし)に抗議する台湾人遺族らの姿などを取材し続けた記録。一部の週刊誌などが「反日的だ」と取り上げ、文化庁が所管する独立行政法人日本芸術文化振興会が750万円の助成金を出していたことを問題にした。稲田朋美衆院議員ら自民党国会議員の一部からも疑問視する声が上がり、全国会議員を対象に試写会が開かれていた。

 右翼団体などからの嫌がらせや妨害をおそれて5館が中止を決めたことに、毎日は「黙過できない。言論、表現の自由が揺らぐ」と表明し、「安全を名目にした『回避』は、わが意に沿わぬ言論や表現を封殺しようとしている勢力、団体をつけ上がらせるだけであり、各地にドミノ式に同じ事例が続発することになろう」と危惧(きぐ)した。「萎縮(いしゅく)の連鎖を断ち切るには、再度上映を決めるか、別会場ででも公開の場を確保する必要がある」と映画館側への奮起も促した。

 さらに、警察当局にも「会場側が不安を抱く背景に、こうした問題で果たして警察が守りきってくれるのかという不信感があるのも事実だ。きちんとした取り締まりをしてきたか、疑念をぬぐうことも不可欠だ」と厳しく注文した。

 3月末にも「上映中止は防がねば」との社説を載せた朝日は「言論や表現の自由は、民主主義社会を支える基盤である。しかし、いつの時代にも暴力で自由を侵そうとする勢力がいる。そんな圧迫は一つ一つはねのけていかなければならない」と訴えた。読売も「どのような政治的なメッセージが含まれているにせよ、左右を問わず最大限に尊重されなければならない」との見解を示した。

 映画館側を特に批判したのが日経だ。「営利企業の映画館にしてみれば、トラブル含みの作品は避けて通りたいというのが本音ではあろう」と推測し、「芸術文化の担い手でもある劇場の事なかれ主義的な対応は極めて残念」と嘆いた。

 では、産経はどうか。「映画を見て、評価する人もいれば、批判する人もいるだろう。上映中止により、その機会が失われたことになる」と指摘し、映画館側の対応は「あまりにも情けない」として、「残念だ」と言う点では他紙とそう変わらない。しかし、言論・表現の自由の危機をアピールする配給会社のコメントなどには「憲法の理念をあえて持ち出すほどの問題だろうか」と疑問を投げかけた。

◇背景に「無形の圧力」
 産経と他紙との見解が決定的に異なるのは、稲田議員らによる試写会要求などの動きに対するとらえ方である。毎日は「それ自体が無形の圧力になることは容易に想像がつくはずだ」と国会議員の行動に慎重さを求め、「議員たちこそが信条や立場を超えて横やりを排撃し、むしろ上映促進を図って当然ではないか」と注文を付けた。朝日も上映中止の背景に稲田議員らの動きがあると断定し、上映を広く呼びかけるなど具体的な行動を起こすよう迫った。

 一方、産経は試写会要求は「あくまで助成金の適否を検討するためで、税金の使い道を監視しなければならない国会議員として当然の行為である」と擁護の姿勢を鮮明にした。そのうえで、映画には「中国側が反日宣伝に使っている信憑(しんぴょう)性に乏しい写真などが使われ、政治的中立性が疑われるという」と述べ、そうした映画に「税金が使われているとすれば問題である。文化庁には、助成金支出の適否について再検証を求めたい」と締めくくった。

 稲田議員らは首相の靖国参拝を支持する議員グループに属し、産経は以前からその活動を積極評価するとともに、靖国神社への首相参拝に反発する中国などを批判してきた。産経の社説が上映中止は問題視しながらも、映画そのものには疑問を呈しているのも、そうした持論と無縁ではないだろう。

◇将来に禍根残すな
 2月には、日本教職員組合の教育研究全国集会の全体集会が、右翼団体の抗議行動をおそれたホテルの使用拒否で取りやめになった。「今後、日教組にとどまらず、集会や言論、表現の会場使用をめぐる問題に『前例』として重くのしかかるおそれ」(毎日・2月2日社説)が今回、現実になってしまった。

 東京は「大事なことを無難で済ます、時代の空気を見過ごしては危うい」、毎日は「将来『あの時以来』と悔悟の言葉で想起される春になってはならない」と警鐘を鳴らす。その自覚を社会全体で共有したい。【論説委員・小泉敬太】


靖国」上映中止:「圧力」じわじわと 週刊誌報道、議員向け試写きっかけに

毎日新聞 2008年4月7日 東京朝刊
 ドキュメンタリー映画靖国 YASUKUNI」の上映を予定していた東京、大阪の5館(4社)が相次いで中止を決めた。映画館側は今月12日の封切りを控え、なぜ断念したのか。経緯を検証した。【臺宏士、本橋由紀、鈴木隆

◇街宣、怖がるスタッフ

 「現場は若い女性スタッフばかりだ。彼女たちは携帯電話の着信音にも右翼団体が来たのではないかとおびえる状況だった。しかし、会社としては上映を支える人的配置は困難だった」。「靖国」の上映中止を決めた「銀座シネパトス」。運営する「ヒューマックスシネマ」(東京都新宿区)の担当者は、苦渋の選択だったことを強調した。

 同社によると、右翼団体が、映画館周辺で初めて街頭宣伝活動を行ったのは先月20日午後。3人が乗った1台の街宣車が映画の上映中止を訴えた。22日にも別の団体が来た。いずれも文書での申し入れはなかったが、98年公開の「南京1937」が街宣活動のため相次いで中止に追い込まれたケースを挙げ「同じようになる」と主張したという。脅迫めいた抗議電話もあった。同社は26日、配給協力・宣伝会社「アルゴ・ピクチャーズ」(港区)に上映中止を申し入れ、ポスターも取り外した。その日、別の団体が来たが、中止決定を告げると引き揚げた。

 同社関係者は「過剰な自粛と言われるが、安心して上映できる環境を確保できなかったことに尽きる。昨年、試写を見たときは中止に追い込まれることは想像もしなかった。『反日』という言葉が独り歩きしている気がする」と明かす。

◇「近隣の施設に迷惑」

 最も早く上映中止を決めたのは、東京・新宿の「バルト9」を運営する「ティ・ジョイ」(中央区)。同社は「番組編成上の総合的な判断」としているが、自民党稲田朋美衆院議員らの意向を受ける形で、アルゴが先月12日に国会議員向け試写会を開いた直後だった。アルゴ側は「右翼団体街宣車が来る恐れがある。映画館は、商業地の真ん中にあり、近隣施設に迷惑がかかる、という説明だった」と明かす。銀座シネパトスと異なり、右翼団体などからの具体的な抗議はないという。

 「Q−AXシネマ」(渋谷区)も「直接的な抗議や特定の団体、個人などからの働き掛けはなかったが、商業施設として万一のことがあってはならない。上映中止は初めてだがやむを得ない」とコメントする。

 「シネマート」を東京、大阪で運営する「エスピーオー」(港区)は今月1日、ホームページに経緯を説明する文書を掲載。国会議員による試写会後にアルゴ側に「安全な上映環境の整備」を申し入れたが「中止にすることで了承を願いたい」と申し出があったとしている。これに対し、アルゴは「エスピーオーは、左右両派を招いた試写会を開くことなど実現が難しい条件を提示した」と、ニュアンスが異なる説明をする。両社は公開に向けて話し合いを再開した。

◇「表現の自由の担い手」

 上映を予定している新潟市の「市民映画館シネ・ウインド」は、「個人が会費を払って自由を維持している。23年間、公開を中止した映画はない。自粛ムードが全国に広がった昭和天皇大喪の礼の時も営業した。大丈夫です」と言い切る。同館では、上官の戦争責任を追及する故・奥崎謙三氏を描いた「ゆきゆきて、神軍」(原一男監督、87年)を上映した時も問題なかったという。

 アルゴの岡田裕社長は「映画は上映して初めて事業が成り立つ産業だ。映画館は重要な表現の自由の担い手だ。頑張れるところまで、頑張るべきではないか」と話す。

 上映中止が広がるきっかけになった国会議員対象の試写会は、文化庁が製作者側に打診し、会場を手配するなど深く関与した。公開前の議員向け試写に対しては「事前検閲だ」と疑問の声もある。同庁は「稲田事務所から助成金についての問い合わせがあった際に視聴の要望を受けた行きがかり上だ」(芸術文化課)と説明。今回の対応が中止につながったことについては「心外だ」としている。

◇右傾化、戦前の歴史から学べ−−ノンフィクション作家・保阪正康
 最も懸念されるのは、面倒なことに巻き込まれたくないと言って靖国問題について議論することを敬遠する風潮が日本社会に広がることだろう。

 言論の自由は、新聞記者や作家が書く自由のみでなく、新聞を運ぶ運転手さんや本を販売する書店員の方たちを含めて社会全体に自由が確立されていなければならない。映画館の従業員が圧力団体の脅しにおびえたり、近隣に迷惑をかける恐れがあるから中止するという理由のみを論じたら社会のあらゆる自由はその段階で最初に制約を受けてしまう。

 文化庁は封切り前の映画を、問題視する一部の自民党議員の声に押される形で、事前検閲のような異例な試写会を事実上おぜん立てした。表現の自由の制約についてあまりに鈍感過ぎる。「公開されるので見てください」と断るべきではないか。

 太平洋戦争に至った昭和10年代は、台頭する軍部におもねる言論が増幅していった歴史だ。そういう社会の中であたりまえのことがだんだん発言できなくなった。ときに一部雑誌などで右派の主張が大きく取り上げられる今日、近隣に迷惑がかかるという限定された状況でのみ上映中止問題をとらえると本質を見誤る。社会の右傾化という大状況をどう認識するかの能力が試されている。ただ、上映する映画館が出てきたことは、日本社会にはまだ復元力があるという健全性を示した。

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 <映画のあらすじ>
 8月15日。靖国神社周辺は、戦没者を静かに弔うというよりも大勢の参拝者らで喧騒(けんそう)に包まれる。旧日本軍の軍服を着込み、境内で「天皇陛下万歳」と叫ぶ人たち。星条旗を掲げて「小泉純一郎首相を支持する」と靖国参拝に賛意を示した米国人男性は、警察の指導で神社の外に追いやられる。追悼集会に抗議した青年は、支持者に殴られて血まみれに。被害者にもかかわらず、警察官がパトカーに乗せて連れて行く。今回、助成金を問題視した稲田朋美氏が靖国神社参拝を呼びかけるシーンも登場する。

 カメラは、日本在住19年に及ぶ李纓監督が10年にわたり見つめた神社境内の現実を映し出す。「イデオロギー的見方を打ち消すためにナレーションを一切排除」(李監督)する手法が全編を貫く。

 日本刀は靖国神社の「御神体」で、戦前には、境内で「靖国刀」が製作された。作品には90歳の現役最後の刀匠、刈谷直治さんが登場し、李監督によるインタビューが随所に織り込まれる。小泉元首相の参拝を理解し、戦争を否定する刈谷さんの姿を通じ、靖国の魂と日本人の心情に迫ろうと試みる。

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<「靖国 YASUKUNI」をめぐる主な動き>
06年10月    文化庁所管の独立行政法人日本芸術文化振興会」の審査委員会が「靖国 YASUKUNI」を製作した「龍影」(ドラゴンフィルムズ)に対して750万円の助成を決める。
07年12月    「週刊新潮」(12月20日号)が「反日映画靖国は『日本の助成金』750万円で作られた」と報道。
08年 2月上旬  東京4館、大阪1館での上映が確定。
12日 自民党稲田朋美衆院議員の事務所が文化庁に対して週刊新潮の記事内容の確認と、映画の視聴を要望。これを受け同庁は議員側の意向を仲介する形で、製作した龍影側に上映会の開催を要望。
3月上旬  東京、大阪の封切りを除く北海道から沖縄までの地方14館での上映が内定。12日 配給協力・宣伝会社の「アルゴ・ピクチャーズ」が全国会議員と秘書を対象に試写会を開催。自民、民主党などから議員ら約80人が出席した。
15日 「新宿バルト9」が中止をアルゴに通告。
20日 「銀座シネパトス」で、右翼団体が初めて街頭宣伝活動。その後、同22、26日にも別の団体が来る。
26日 銀座シネパトスが中止を決定。
27日 参院内閣委員会で、有村治子議員(自民)が助成金支出の妥当性について取り上げる。
31日 「渋谷Q−AXシネマ」「シネマート六本木」「シネマート心斎橋」が上映中止を決める▽アルゴが東京、大阪の計5館での今月12日の封切り上映の中止を発表▽稲田氏は「上映の是非を問題にしたことは一度もない」とのコメントを出す。
4月上旬   日本新聞協会、日本民間放送連盟日本ペンクラブなどが上映中止について懸念を示す談話などを相次いで発表。
2日 福田康夫首相が「嫌がらせとかの理由で上映中止になるのは誠に遺憾だ」と表明。
4日 アルゴが5月から東京、大阪を含む17都道府県の計21館で順次、上映すると発表。


映画「靖国」:ジャーナリストや映画監督 会見で懸念表明

毎日新聞 2008年4月10日 20時06分

「映画『靖国』への政治圧力・上映中止に抗議する緊急記者会見」で映画への思いを語る李纓監督=東京・永田町の参院議員会館で2008年4月10日午後1時21分、川田雅浩撮影 ドキュメンタリー映画靖国 YASUKUNI」の上映を中止する映画館が相次いだ問題で、ジャーナリストや映画監督ら12人が10日、東京都千代田区参議院議員会館で記者会見を開き、上映への圧力に対する委縮ムードへの懸念を表明した。李纓監督も同席、「文化立国を目指してきた日本の国際的イメージにマイナスになる」と批判した。

 李監督は「デリケートな題材なので、映画館とは上映後の対策を協議し、一緒に頑張ると約束していたのに不思議だ。劇場側はどれほどの圧力をかけられたのか」と話した。

 月刊誌「創」編集長の篠田博之さんは「上映中止の連鎖反応として自粛ムードが広がっている。言論の自由を掲げるだけではだめで検証が必要だ」と発言。作品を鑑賞したジャーナリストの野中章弘さんは「上質なドキュメンタリー。日本人の精神構造や文化的土壌を考えようという問題提起があった」と評価した。

 漫画家の石坂啓さんは「私は映画をまだ見ていないし、見られないのは悔しい。我々からその機会を奪うのは由々しきことだ」と批判。映画監督の是枝裕和さんは「内容について『反日』だという意見があったとしても、それは上映した後に起こるリアクション。多様な意見を交わすことが成熟したパブリックのあり方ではないか」と述べた。【鈴木梢】



映画「靖国」:出演の刀匠「李監督は信用できない」

毎日新聞 2008年4月10日 22時09分

映画「靖国」を撮った李纓監督 映画「靖国 YASUKUNI」の中心的な登場人物で高知市の刀匠、刈谷直治(かりやなおじ)さん(90)と妻貞猪(さだい)さん(83)が、出演場面のカットを求めていることが10日分かった。刈谷さんは自民党参院議員から問い合わせを受けていたことも判明。会見した李纓監督は問い合わせを「介入だ」と批判し、「刈谷さんの了承を得ている。カットすると上映できなくなる」と説明している。

 刈谷さんは毎日新聞の取材に「映画は刀作りのドキュメンタリーと聞いていた。李纓監督はもう信用できない。出演場面をカットしてほしい」と話した。

 映画では、靖国神社に軍服姿で参拝する団体など、境内でのさまざまな出来事とともに、第二次世界大戦中、軍人に贈る「靖国刀」を作った刈谷さんへのインタビューなどが全編にわたって登場する。

 刈谷さんによると、05年10月ごろ、知人を介して出演依頼があった。数カ月後、李監督ら3人が訪れて2日間撮影。昨年春ごろ、刈谷さん宅で試写が行われた。貞猪さんが「政治的な内容でダメだ」と言うと、李監督は「近いうちに代わりのものを送る」と話したが、連絡はないという。刈谷さんは「今さら何を言っても仕方がない。もう静かにしてもらいたい」と話した。

 この問題を巡っては有村治子参院議員(自民)が自身のホームページで、「心外なお気持ちでいることを人づてに聞いていたので、伝聞では国会質問はできないと考え、刈谷さんご夫妻と直接初めて連絡をとった」と、3月25日に刈谷さんに連絡したことを明らかにしている。

 李監督は10日の会見で、「刈谷さんに作品を見てもらい、了承を得た。チラシに使うコメントとして、刈谷さんから“誠心誠意”という言葉もいただいた。一国会議員が直接出演者に連絡を入れて、結果的に出演部分を削除するよう求められる事は残念だ」と述べた。

 刈谷さんは、有村議員からの電話について「問い合わせを受けただけで圧力を受けたとは思っていない」と話している。

 有村議員は日本マクドナルド勤務を経て、社会人大学院生として在学中の01年参院選比例代表で初当選し、2期目。議員在職中に出産し話題を集めた。





靖国」上映中止:高知の上映中止 配給会社、出演の刀匠に配慮

毎日新聞 2008年4月12日 大阪夕刊
 ドキュメンタリー映画靖国 YASUKUNI」の中心的な登場人物で刀匠の刈谷直治(かりやなおじ)さん(90)=高知市=が出演場面のカットを求めている問題で、同市の映画館「あたご劇場」が上映を取りやめることになった。配給会社から「刀匠に配慮して地元での上映は見合わせてほしい」と要請された。

 5月24〜31日に上映することが今月7日に決定した。しかし、9日になって配給会社「アルゴ・ピクチャーズ」(東京都港区)から連絡があった。

 また、高知市高知県四万十市などで6月以降の自主上映を予定していた配給会社「四国文映社」(高知市、馴田正満(なれたまさみつ)代表)にも、アルゴ側から「県内での上映は見合わせてほしい」と連絡があり、上映の見通しが立たない状態になっている。

 あたご劇場の水田朝雄支配人(58)は「大手がやらないならうちがやろうと、右翼などの妨害覚悟で上映を決定したが、出演者が納得していないのに上映はできない」と話した。【近藤諭】

映画「靖国」:神社が映像削除要請 李監督らに「事実誤認がある」

毎日新聞 2008年4月13日 東京朝刊
 ドキュメンタリー映画靖国 YASUKUNI」(李纓監督)の上映を中止する映画館が相次いだ問題で、靖国神社(東京都千代田区)が、事実を誤認させる映像があるなどとして、李監督と制作会社「龍影」、配給元の「アルゴ・ピクチャーズ」に対し、一部映像の削除を求める通知をしたことが分かった。

 靖国神社が11日付でホームページに公表した。「境内における撮影許可手続が遵守(じゅんしゅ)されていないだけでなく、その内容についても事実を誤認させるような映像等が含まれており」と理由を記載。李監督らに「質問と問題映像の削除等の適切な対応を求める通知を行いました」としている。
 毎日新聞の取材に靖国神社は「取材は14日以降にファクスで受ける」と話した。