唐沢俊一の感想

http://www.tobunken.com/diary/diary20080226170615.html
松竹試写室でドキュメンタリー映画靖国YASUKUNI』試写鑑賞。

監督は中国人の李纓(44)。中国人の撮った靖国像だから、もっと諸悪の根源として徹底追及の視点で描いているのかと思ったら、そこらへんを“非常にうまく”回避している映画になっていた。だからこそ、産経新聞が取材して記事にしてしまうのだろう。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080208/edc0802080901001-n1.htm
靖国を賛美する人と反対する人の姿を同一視線で記録することにより、賛成とか反対とかという視点でなく、今の靖国をめぐる日本人(及び諸外国人)の混乱をありのままに描き、結論は観た人の考えにまかす、といった姿勢を基本にしている。だから、鈴木邦男氏のように「これは靖国へのラブレターだ!」と絶賛する人も出る。私のようなサブカル人間にとっては、靖国神社終戦記念日にわらわらと集うコスプレ集団の姿をこれだけたくさん記録したというだけで貴重なフィルムである、と絶賛したくなる。

しかし、その作りに、マイケル・ムーアのドキュメンタリーに相通じるウサン臭さもビシビシ感じる。映画は、基本的に終戦記念日靖国神社風景と、靖国刀(昭和8年から終戦まで、靖国神社境内に作られた作業場で作刀され、陸軍将校に供給されていた刀)の最後の作り手である90歳の老人の作刀風景を交互に記録している。老人にとっては、靖国刀の作刀は自分の青春であり、人生そのものであった。当然、監督も、その刀の素晴らしさをたたえ、老人は、彼がそういう趣旨で自分の記録を撮ってくれている、と信じている。だからこそ、寡黙ではあれ、つい、監督の誘導尋問で
 「私は小泉さんと同じく、日本人は靖国に詣るべきだと思うとります」
という言葉を吐き、かつ、
 「休みにはどんな音楽を聴くんですか」
という問に、老人が(“やすみ”と“やすくに”を聞き間違え)
 「靖国の音楽?」
と、音楽ではないが昭和天皇の肉声を記録したテープを流す場面を撮り、そして老刀工の、たぶん人生最後に鍛えた刀の映像と、百人切りを報ずる記事や南京での虐殺場面の写真を並べて映す。この老人は、自分の仕事をこのように編集されることを知らないはずである。彼がまだ存命なのかどうか知らないが、完成された映画を観たらどう感じたか。そこが非常にひっかかる映画だった。

とはいえ、そこらの作為は観ていてすぐにわかるので、われわれはただ、日本人も実はよく知らない、靖国神社をめぐるさまざまな人々の思惑を記録した作品、としてこれを見ておくべきなのかもしれない。アメリカ人の靖国参拝賛成者というヘンな外人とか、靖国参拝促進運動反対を叫んで参列者にボコにされて鼻血を出しながら「小泉首相靖国参拝は犯罪です! その犯罪に比べれば、私への暴力など、なんの問題でもないのです」と、妙に芝居がかって叫び続ける青年、その青年の態度に憤慨し、彼を中国人と間違えて、
 「中国へ帰れ!」
という言葉を際限なく(興奮のあまり止まらなくなってしまっている)浴びせかけるおじさんなど、日本人もアジア人も、なぜか冷静でいられなくなるパワーを持つ場所としての靖国をよく捉え得ている、と言っていいかもしれない。後味の決していい映画ではないが、しかしどう反応するにしろわれわれに何か答えを求める映画ではあった。
まずは観るべし。