TBSテレビ シリーズ激動の昭和 3月10日東京大空襲

2008年3月10日TBSで放送された「3月10日 東京大空襲」は、ただの戦争悲劇の再現ではなく、実は現在非常に重要な事を訴えているのかもしれないと思う。


(番組概要)
ドラマとドキュメンタリーを合わせた形式で戦争の惨禍を伝える番組。ドラマ部分も実在の人物の、実際にあったエピソードを感情的な抑揚なしにそのまま描いており、全体としてはドキュメンタリーに近い。従来こうした戦争の惨劇を描く場合、取材をもとに事実をその意味が分り易いように、ドラマで抑揚をつけて描き、惨劇場面は記録映像と大規模なセットで見せた。しかしTBSの番組は、ドラマ部分から感傷をほとんど排除し、CGで惨劇を再現することで、そのままの生の体験を視聴者に与えようとしているようだ。これにそこで起きた事の細かい意味や、アメリカ側の背景をドキュメンタリーをはさむ事で伝えているのであろう。

こうした構成のため、万人に涙を誘うといったような感動的な番組にはなっておらず、視聴者の感想は一般的にはあまりぱっとしないと思われる。しかしTBSの製作方針が、そうしたその場限りの感傷より、戦争の恐ろしさをより、そのままの形で伝えることにあったように思う。


(感想)
東京大空襲を撮影した実在の警察官石川光陽氏の体験を描く、石川氏は空襲被害をカメラ撮影することを警視総監から命令され、東京大空襲も空襲の最中から撮影している。彼の所属した両国署は空襲地域の真ん中にあり、彼が生き残ったのはかなりの幸運であったと思われる。石川氏は更に翌朝空襲被害を撮影し、貴重な記録写真33枚を残した。日本には(すなわち世界中に)東京大空襲の被害状態を撮影した写真はこの33枚しかない。だが彼の撮影には日本軍は邪魔をしようとするし、戦争中は一切公開できない、また戦後はGHQが没収しようとする。もしGHQが没収していたなら原爆を撮影した日本映画社のフィルムと同様、数十年は返還されなかったかもしれない。ドラマの焦点はこの国家による写真の禁止と抑圧と没収にあったと思う。


空襲場面はCGとセットで撮影され、よくできているが、あまり大規模ではない。橋上の避難民2千人が一瞬に焼き殺される場面などは、より細かい描写がないと演出による誇張に思われかねない。しかし翌朝の焼け跡死体などはその激しさはやはり恐ろしい。同時に体験者がその恐ろしい様子と、自分が他人を押しのけて生き残った悔悟の感を語るのも今までないことだろう。


ドキュメンタリー取材部分で特筆すべきは、アメリカ軍が関東大震災での被災を分析し、より燃えやすい地域として震災の被災地域と同じ場所を空襲目標にした事だ。目的も目標も軍事目標ではないことがより詳細にわかる。またアメリカ国内に日本家屋を建て、そこで焼夷弾爆撃実験を行って効果を確認したこと、焼夷弾製作に石油会社が大きく関わり、有力な大会社が戦争をより悲惨な方向に促進したことも示されていた。また無差別爆撃を行ったルメイ将軍の前任者は、逆にまったく無差別爆撃を行っていないことが、実際の指令の様子(目標は××の建物だ!)を映像で示すことで示されていたのは、日本人の意地かもしれない。


ナビゲーターの筑紫哲也が指摘したことも意味深い。短時間で最大の被害者を出した世界史上に残る惨劇であるにもかかわらず追悼施設はないのだ。広島や沖縄には立派な国際的な追悼施設があるというのに、63年たっても慰霊施設がないのはなぜだろうか?。現在遺骨はごちゃごちゃに壷に収められ、関東大震災の追悼場所に間借している。またその慰霊堂を訪れる人も少ない。これは戦争中は日本政府が報道を制限し、戦後もGHQが抑止した為だというのはまったくその通りに感じられる。


(番組の意味)
写真を撮った石川光陽氏の娘たちは言う「父は必死にこの写真を守った。この写真がなくなったら、証拠がなくなると思ったから」。この台詞はGHQも日本政府も東京大空襲をなかったことにしたがっている、という様に聞こえる。

2008年の今では、この指摘は杞憂ではない。もし写真がなかったら、東京大空襲はあれ程恐ろしい事であったと、今の若者は信じないかもしれない。「従軍慰安婦」と呼ばれる女性たちはだまされて集められ、逃げ場のない場所で無理に強制されたものであること、沖縄戦の住民の「集団自決」とは日本軍の強制であることなど、今の一部の人は「証拠」がないと、理解できないものがいるのが2008年の今はっきりしている。

石川光陽氏の写真が10万人が無残に焼け死んだことの「証拠」であり、あれがなかったら東京大空襲も、一部の人からその存在を否定されていたかもしれない

そう考えると石川光陽氏の33枚の写真の貴重さに、再び気づかされる。