産経新聞 2008年03月09日

【主張】東京大空襲 日米で戦争責任の検証を
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/128454/
産経新聞 2008年03月09日

3月10日は63年前に東京・下町一帯が米軍の無差別爆撃で、10万人が死亡した東京大空襲の日だ。広島、長崎の原爆の日(8月6日と9日)とともに、日本人の記憶にとどめておきたい日である。
 米軍の長距離爆撃機「B29」による本格的な本土空襲が始まったのは、昭和19年夏以降だ。当初は、軍需工場などに目標を絞った精密爆撃だったが、翌年1月、米極東空軍司令官にカーチス・ルメイ少将が赴任してからは、住宅密集地などを標的にした無差別爆撃に切り替えられた。
 それは、まず、爆撃目標地域の周囲に焼夷(しょうい)弾を投下し、逃げ道をふさいだうえで絨毯(じゅうたん)爆撃を加えるという非人道的な方法だった。無差別爆撃は東京大空襲の後も、大阪、名古屋などの大都市や地方都市にも行われ、広島・長崎の原爆被害を含めると、50万人以上の民間人が犠牲になったといわれる。
 1922年、ハーグで日米英などの法律家委員会が作成した「空戦に関する規則(24条)」は未発効ではあったが、軍隊や軍事施設以外の目標に対する爆撃を禁止していた。東京大空襲や原爆投下を、当時の米国政府は「戦争終結を早めるため」などと正当化したが、日本の敗色が濃厚な時期に、非戦闘員を標的にした都市爆撃が本当に必要だったのか、極めて疑問である。
 占領下の日本で出版を禁じられたヘレン・ミアーズ氏の著書「アメリカの鏡・日本」には、「3月の東京爆撃以後、米軍は日本軍相手ではなく、主に一般市民を相手に戦争をしていた」と書かれている。ミアーズ氏はまた、米側が日本の旧ソ連を通じた和平への試みなどを知っていながら原爆を投下したとして、「原爆はソ連との政治戦争に使われた」と分析している。
 戦後の戦犯裁判で、B29の搭乗員を処刑した罪に問われた岡田資(たすく)中将の法廷闘争を描いた映画「明日への遺言」(小泉堯史監督)が、今月1日から全国で公開されている。リーダーのあり方や無差別爆撃の非人道性を問うた作品だ。戦争体験者らにまじって若い観客も目立ち、関心の高さをうかがわせる。米国の国際映画祭でも上映され、拍手が鳴りやまなかったという。

 日本と米国の特に若い人たちに、無差別爆撃の戦争責任について、改めて問い直し、検証してほしい。