6横浜裁判経緯

連合国(アメリカ軍)による日本軍戦犯への戦争裁判であり、A級戦犯を裁いた東京裁判とは別個に開かれている。ただ被告の拘置所はスガモプリズンである。同様な戦犯裁判は連合国各国が各地で開いており、被告の数は5000人以上に上る。(林博文「BC級戦犯」)しかし有罪判決を受けた者も昭和25年朝鮮戦争開始以降、減刑・釈放が行われている。
参考:大岡昇平は戦犯裁判判例でB29搭乗員を処刑した日本軍戦犯への判決例では、司令官と法務部長の責任が重く見られ、それぞれ絞首刑および終身刑の判決が下される例が多いとしている。その上で、その後減刑されているしまた司令官でも自分の責任を否定し、禁固刑ですんだ者もおり、岡田中将が正面から自分の責任を認め、逆にアメリカのの空襲の違法性を争ったため死刑執行となったとみている。また責任のあるO法務少将が裁判前に自殺し岡田中将に不利なメモを残した事も大きく考えている。

(岡田中将の裁判経過)
・昭和21年2月21日予備取調べ、山上宗治法務少将による調書作成
・昭和23年1月29日裁判開始命令(A案件判決が出た日)
・昭和23年2月開廷
・昭和23年5月19日判決
・昭和24年9月17日処刑


罪状:略式裁判を行い、違法に37人を死刑にした。(又岡田中将についてはA案件も同時に裁かれている)
被告:20人(岡田司令官、大西高級参謀、副官、参謀2、以下は処刑執行者中尉〜1等兵)
裁判官:5名アメリカ軍将校、裁判長ラップ大佐
検事:?
弁護人:主任主任弁護人ファザーストーン博士、アメリカ政府のよこした弁護団として来日(1907年生まれ)、他の日本人弁護士5人
主な証人
検察側:軍法務局長、死刑執行の目撃者など
弁護側:軍需産業担当者、爆撃目撃者など
主張:
検察:既に結審しているA案件=伊藤法務少佐の裁判で、正式な軍律裁判でB29米兵に死刑を行った場合もその違法性(本来戦争犯罪ではない)が認められている。岡田中将の場合、米兵を死刑にした事実とそれが略式裁判であった2点が明確になれば、その違法性は明らかである。
弁護:B29搭乗米兵の行為は無差別爆撃でありこれを死刑としたのは合法である。略式裁判は内容的には正式な裁判と同じであり問題になるものではない。軍律で銃殺と定めている所を刺殺したのは裁量の範囲内であり問題ではない。